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2010年2月11日木曜日

何事も思い入れたる人なれば

お能に『清経』という曲があります。
平家一門が都落ちし、一旦九州へ行きます。
有名な一の谷の合戦・屋島の戦い・壇ノ浦の合戦など
いわゆる「源平の合戦」が行われる前のことです。

九州に落ちた平家一門は大宰府に入りますが、
緒方三郎惟義に攻められ、海上に逃れます。
この段階で、清盛の長男・重盛の三男である平清経は
ひとり、豊前国柳浦(今の大分県)で入水、自ら命を絶ってしまいます。
享年21歳と言われているそうです。

「左中将清経はもとより何事も思いいれたる(思いつめる)人なれば」
『平家物語』には清経がこんな風に描かれています。
大宰府落ちが辛酸を極めたものであったとしても
戦いの趨勢が決した時ならばともかく、まだ誰一人敗戦を覚悟する者は
いなかっただろうこの段階で、彼の心は折れてしまったのです。

オリックスのキャンプ地で亡くなった小瀬選手の報道を聞いて
この清経を思い浮かべました。
詳細が明らかにされている訳ではありませんが
もしも自死であったとしたら・・・
奥様とは新婚だったと聞いています。
何故自分を置いていったのか、と嘆き悲しんだ清経の妻と同じく
小瀬選手の奥様も、夢でもいいから会いに来て
その訳を語って欲しいと思われることでしょう。

能『清経』の解釈について、いろいろのお話を聞きます。
特に、議論の対象になるのが、自分を置いていった清経を
妻は赦せるか?自分が妻なら赦せるか?というところでしょう。

最初『清経』を観た時、やはり彼はひどいと思い
自分だけ仏果を得て成仏してしまう清経を赦せないと思いました。

でも、今は考えを変えました。
平家物語を題材にしたお能、特に平家の公達を主人公にしたものは
観ていると、主人公達をなんとか弔ってあげたいという気持ちに
満ちているのを感じます。
彼らを弔うために、一番のキイとなる出来事や人物を
モチーフに使って、人生を端的に再現していると思うのです。

例えば『敦盛』なら、通常通りすがりであるワキの僧に
彼の命を奪った張本人、熊谷次郎直実出家の蓮生をおき
一の谷の合戦前夜、平家の陣で敦盛の奏でる笛の音を
攻め手の蓮生が聴いたというエピソードを織り込んで
2人の人生の結びつきの強さを表現したり。

『清経』には、彼を成仏させるために祈る僧は出てきません。
私は、その役割を妻が負っているような気がするのです。
絶対彼に生きていて欲しくて、でも思いつめる性格だから
自分で命を絶ってしまうことも、本当はあるかも知れないって
妻は知っていたのではないかと思います。
だからこそ、「生きて帰って来てね」と何度も何度も
彼に約束させたに違いありません。

それなのに。やっぱり彼は死んでしまいました。
心配していたように、彼らしいやり方で。
「あんなに約束したのに!」と妻は恨みます。

清経は、そんな妻の元へやってきます。
妻とのやりとりは、お能の詞章としては随分現実的で
生々しいものです。
妻の恨みごとに対して、「あなただって、形見をつき返したじゃないか」と
清経が言い返すところなんか、夫婦喧嘩そのもの。

彼は、妻に赦してもらえなければ成仏できなかったのではないでしょうか。
だから、恨み言を言われるとわかっていて妻に姿を見せ
この運命に2人でいっしょに涙をこぼします。

最後に清経が仏果を得た、それは妻が彼を本当に弔い
成仏してくださいと願ったからだと、私は思っています。

この解釈、実は今まで賛同を得たことがありません。
どなたか賛成の方がおられたら、是非お話してみたいのですが
やはり、奇抜すぎるのでしょうか。
この解釈で演じられる『清経』が観たいと思うのは
夢のまた夢でしょうか。

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