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2010年6月16日水曜日

能『頼政』と『鵺』

ダンスの試験が終わったので、久々の更新です。
試験のことについては稿を改めるとして、
きょうは次の日曜日に拝見することになっている『頼政』について。
「梶の葉の舟」を更新したのですが、いろいろ考えているうちに
もっと書きたくなってしまったのでこちらへ。

『頼政』は、平家物語を題材とした能のひとつで、主人公は源三位頼政。
この武将は能『鵺』にも登場し、主上に仇をなす妖怪・鵺を見事退治します。
その武勲に感じた大臣が、褒賞の場で
「ほととぎす 名をも雲居に上ぐるかな」と歌を詠みかけると
折りしも浮かぶ月をちらと見て
即座に「弓張月の 射るにまかせて」と返したという
心憎いばかりの文武両道の達人。
『鵺』ではこのエピソードを、退治された鵺自身に語らせます。
そして、
  “ 頼政は名をあげて。我は。名を流すうつほ舟に。押し入れられて。
     淀川の。よどみつ流れつ行く末の。”
と、間髪を入れず、屍と成り果てた鵺自身に焦点を戻します。
頼政の華々しさそのものが、強力なスポットライトとなって鵺を照らし
宿業の黒々とした影を観る者の脳裏に焼き付けるのです。

終局、シテが月に向かって血を吐くように口にするのは
  暗きより暗き道にぞ入りにける。遥に照せ。山の端の月
有名な和泉式部の歌。あまりにも痛切です。
『鵺』を観るといつも、鵺って自分のことだと思えてしまうのは何故でしょうか。

さて、では能『頼政』は、凛々しい武者の話かと思うと
これもまた違うのがお能の面白いところです。
平家全盛の世でありながら、文武両道の達人として万人に認められ
源氏の身で三位に登ったとして「源三位」の名で呼ばれた主人公・頼政。
その代償に平家への忍従を強いられ、鬱屈した老いの道を歩んでいた
であろう彼が、ついに以仁王を奉じて挙兵。
敢然と戦に挑みますが、最後は敗れて自ら命を絶ちます。
死を遂げた平等院の庭で、諸国一見の僧に弔いを乞う頼政もまた
暗き道から抜けられず苦しんでいるのです。

「平等院の庭の面(おも)」というフレーズが詞章の中に出てきます。
それを聴くと、頼政の歌
  庭の面(おも)はまだかわかぬに夕立の空さりげなくすめる月かな
を思い出します。
庭の面を濡らしている夕立の中に、頼政をはじめとした武将達の血の色が
混ざっているのではないか・・・なんて妄想しまいます。
そんな無残な雨が降った後も、月は皓々と空にあって
頼政も鵺も、月を見上げ、憧憬し、祈っているのです。

実は以前、とある催しで連れ合いの先生が『頼政』の仕舞を舞われるのを拝見しました。
もう10年近く前だったように記憶しています。

ほとんどの演技を床机にかけた姿でされていたと思うのですが、
宇治橋の合戦の有様を語られるくだりは本当に素晴らしく
宇治川を轟々と流れる水音、一塊となって宇治川の流れを渡る平家の騎団の
水しぶきや馬の荒い息遣いが聴こえるよう。
先生ご本人は下知する忠綱がそこにいるかと思うような若々しさと気迫で、
文字通り胸が高鳴りました。

後ほどお話を伺ったところ、この曲は若いうちには能を舞うことが許されないのだとか。
仕舞ならば、ということで今回舞いました、とおっしゃっていました。
それを聞いて、いつか先生が能『頼政』を舞われる時が来るのだと思い
同じ時代に生まれて、それを観ることができる、なんて幸せなことだろうと思いました。

待ちきれないような気がしたその日が、もうすぐやってきます。
その舞台を拝見して自分がどう感じるのか・・・。
10年たって、老武者頼政の苦しみや気概が少しでも感じられるようになったでしょうか。
曲の最後、月は私の心の中にどんな形で浮かびあがるのでしょうか。
『鵺』と『頼政』とはお互いの世界を深めあいながら存在している曲のようです。

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